50にして惑わず?

孔子の教えに、『40にして惑わず』という言葉が有ります。確か、『50にして天命を知る』でしたっけ。
そうは言っても最近の人は寿命も延びているので、50にして窓わずかも・・・。などと思いつつ50歳を迎え、2年が経ちました。
しかし・・・実際の所は、迷ってばかりです。

先日、材料の取引先が廃業すると言うことを知ったのですが、今まで供給されていた材料が2月半ばにしか入ってこないという事が分かりました。それまでは受けているスピーカーの製作ができません。お客様を待たせる事になってしまいます。しかも、その材料も2月で最終になります。代わりの会社も、まだめどが立ちません。
それから、やはりリフォームに使う断熱材が日本中で不足しているということで、今受けているリフォームの工事の取りかかりも遅くなりそうです。

そんな時に友人からインドネシアへの移転を勧められました。マレーシアの中国人の元で働かないかと言うお話です。
その中国の方のメールには俊一さんの仕事について『The works are outstanding. 』だ。という一文が。

正直、涙が出ました。
「 outstanding』は傑出しているという意味の言葉だからです。
世界の良い物を見てきた人が小野寺の仕事を評価してくれているという事が嬉しくない訳は有りません。
実は、7年程前にも、同じ方から誘いを受けました。
その時は何も考えずお断りしたのですが。今回は迷っています。
相手が、あの時の気持ちを変わらず持ってくれていたんだということにも、驚いたのです。

そうは言っても、懸念材料は山積みです。

外国で技術を教えたらその後は国外退去という法律が有る事も知っています。
でも、日本で家具作りの技術を学ぼうとする人や、それを育てる土壌は有るのでしょうか?
7年前に訪れた時安い賃金で汗を惜しまず働くインドネシアの人達と、貧しいながらも活気溢れる
町を見た時のワクワク感を思い出すと、余計に考えてしまいます。
だれが、本当に自分たちを必要としてくれているのか?

自分達の限界に付いても、見極めが、難しいところです。
日本の安全で穏やかな生活。
老犬ポンティも居ます。彼が居るうちは外国へということはできないかもしれません。
それから今も御世話になっているお客様が有ります。
家具の量産のお話も頂いていて、日本でがんばりなさいと励まして頂きました。

でも、この迷いはなんなんでしょう?


50にして惑わず?” への2件のフィードバック

  1. いつも拝見させていただき楽しませてもらっています。
    また製作されたスピーカーをいつもすっごい欲しいと思ってみさせてもらっております。(特にランドセル)

    海外移転の話ですが、なんとか日本で技術を継承していくようできないものなんでしょうか。日本全国のいろいろな分野で同じような事がたくさんおこっているような気がします。日本が技術をなくすと何が残るのでしょうかなんて考えてしまいます。えらそうな事言ってすみません。

    でもぜひぜひがんばってください。

  2. コメントありがとうございます。
    デラ工房で制作するスピーカーに関心を示して頂きありがとうございます。
    ランドセルは、1950年頃のアメリカの製品の復刻です。当時の様子、決して現在のNCでなんでも加工する方法と違い、人が手をかけて作った良い雰囲気が伝わってくる、そんな製品で私達も復刻できて特権と思っています。残念ながら重たい型を使ってひとつひとつ作っていて腰を痛めたため現在は注文を受け付ける事ができません。もう少し待って頂けたら何か方法を考えるつもりです。(例えば、中川さんに教えるとか・・・)

    それから、技術の継承の事ですが、例えば伝統的な和家具とか蒔絵とか伝統工芸的な物なら費用を掛けてもできるのかなと思うのですが、私達が作りたい西洋家具はもともと日本に無い物なので難しいのかなと思います。家具でいうとアーツアンドクラフトくらいな感じだとまだ日本の畳文化にも合うのでしょうか?
    私達は、西洋家具が好きで、さらに異文化が混じり合うマレーシアやインドネシアが体質的に大好きなので外に出たいという思考なのですが、日本の伝統的な文化は残す為の真剣な工夫をした方が良いですよね。
    でないと、本当に外国から見てもつまんないですよね。

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